文化をひらく市民パワー
公民館で、病院で、大学で……
ネットワークの中でこそ、文化は生まれ、はぐくまれる。

 捨てたものではない。千葉にだって、新しい「文化」を、その機運はある。回りの多くの人との連携を図りながら“文化づくり“
に取り組もうとする人々はどのように思いを遂げてきたのか。拠点とする施設を交えて紹介する。



 打瀬公民館のホールは、建築計画を住民参加で練って、20023月にオープンしてからというもの、運営にもそのまま住民グループが携わる。いわば”街の音楽室“だ。定員は200人。公民館ホールでありながら、「小さくてもキラリと光る」を合言葉に、「生音の響き」を一番に考えた。基金を設立して、運営の仕組みをさらに充実させる構想も進む。
「自分たちの街は自分たちで」。ざっと10年前、街開き当時の幕張ベイタウンには、こうした雰囲気がみなぎっていた。「住宅で街をつくる」という、それまでの団地計画にはない新しい考え方でつくられ、当時、唯一の公共施設だった小中学校にしても、先進の試みをふんだんに取り入れていた。なにか新しいことに取り組めそうな予感があった。幕張ベイタウンを含む一帯で整備する予定の施設を、「コミュニテイコア」と当時は呼んでいた。これを住民参加で整備していこう−−−。開発主体である千葉県企業庁からこうした話が持ちかけられてきたのは、自治意識の高い住民にとってまさに好機だった。
 発足に向けて準備を進めていた自治会連合会準備会を母体として、住民は97年3月、県企業庁の呼びかけを受けて検討組織を立ち上げる。コミユニティコア研究会、通称コア研。県企業庁で主宰するコア整備に向けた検討組織に3人の代表を送り込むかたわら、住民の要望を吸い上げたり、住民相互のネ。トワークを築いたりする役割を担った。
 県企業庁と地元千葉市、そして住民との間では、コンサルタントも交えて3年にわたって協議を重ねた。結果、県企業庁で打ち出しだのは、公民館と図書館と子どもルームの複合施設を施設の第一弾として建設し、完成後、所有・管理を千葉市に移す、という計画だった。
 コア研ではこの間、幾度となく集まりを開いて、協議の内容を伝えたり、興味のある人が興味のある分野に関して意見を披露したりしてきた。コアには、「小さくてもキラリと光るホール」を   。こうした方向性も、コア研から生まれた。
 提案したのは、コア研で共同代表を務める浪岡尊志さんだ。浪岡さんは、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉で事務局を務める。
 「千葉には、小さないいホールがありません。演奏家には知っている人もいるので、小さないいホールを、と提案しました。小さなホールであれば、いい演奏家を呼べるし、リスクは小さいので、若手も呼べます。いい演奏家を呼ぶと同時に、若手にも機会を与えることができないか、と考えました」

基金設立して運営の充実図る

 聴くにしても演じるにしても、地元の音楽熱はもともと高かった。住民有志が街をあげて、コンサートを初めて企画・運営したのは97年10月のこと。この街に住む二人の女性バイオリニストとピアニストが舞台に立った。場所は中学校。学校の多目的スペースにパイプいすを並べて、会場を用意した。
 「小さくてもキラリと光るホール」との考え方を煮詰めていくなかで、住民の間ではピアノの問題も浮かび上がってくる。音響設計の専門家の力も借りてつくる、それだけの水準を目指しているにもかかわらず、公民館のホールには変わりない。このまま手をこまねいていては、ホールとピアノとの間でミスマッチが生じてしまう−−−。
 関心のある住民で選定委員会を立ち上げて検討を重ねた末、白羽の矢を立てたのは、フルコンサートタイプの新古品で、イタリア製のFAZIOLI(ファツィオリ)という逸品。もちろん、よくあるアップライト型のピアノに比べると、新古品といえども、格段に高い。
 自治会連合会ではコアに必要な備品を用意する市に対して、施設の水準に見合ったピアノを設置するよう要望書を提出した。近くのホテルや高校・大学でチャリティーコンサートを開いて、そこで得た資金をピアノの購入にあてるよう、住民側では自ら努力を重ねた。市の予算からは、想定の倍を上回る、230万円を確保することができた。
 02年3月、コアはオープンする。ピアノはFAZIOLIを、ひとまずレンタルで手に入れる。コア研では、市の予算で不足する約400万円を、助成金を申請したり、コンサートを企画・運営したり、寄付金を呼びかけたり、手を尽くして調達してきた。コア研の活動は、計画の検討からピアノ購入に向けた資金の調達に移っていた。
 FAZIOLIはこうしてようやく自治会連合会で所有・管理するに至った。地元ではいま、集めた資金の剰余分をもとに「文化振興基金」を設立する構想を進めている。共有財産ともいえるホールやピアノの利用に明確な基準を置くようにしたり、音楽活動を資金面で援助したり、「みんなで運営」を一段と充実させる仕組みを整える。
 コア研共同代表の一人、松村守康さんはこんな夢を語る。 「基金の活動を通じて世界で通用する音楽家をこの街から輩出するのを一つの目標に置きたい、と考えています。若手の登竜門とも呼べるようなコンクールを主催するのもいいですね」


 
 「親と子のための音楽レストラン」で裏方を務めたコミュニティコア研究会のみなさん。左から、隅山雄介さん、浪岡尊志さん、松村守康さん、浪岡浩子さん、大垣真利子さん、内田康文さん。隅山さんは越してくる前から「参加型」に興味を抱いて、インターネット上でコア研の活動を見守っていた。ピアノを選定する段階で大いに力を振るった。松村さんは住民で編集・発行する「まくはりベイタウンニュースJの一員として多彩なネットワークを持つ。千葉県企業庁で主宰していた検討組織に代表者の一人として出席していた時期もある。浪岡浩子さんは県企業庁が1996年5月に開催した「幕張ベイタウンまつり」のとき、主催者側に申し出て小学校で歌を披露したことで、同じ街に住むほかの音楽家とつながりができた。大垣さんは地元でピアノやバイオリンを教える指導者をはじめ音楽好きの人で組織するベイタウン音楽愛好会の代表でもある。ピアノの選定に向けた集まりに顔を出しだのが、コアにかかわるようになったきっかけ。「街の音楽室」とは大垣さんのたとえだ。内田さんは自治会連合会の会長を務めたことで幕張ベイタウン・コアとかかわりを深める。照明をはじめ舞台装置を操るエキスパートの一人でもある。


ホールで生まれた催し@「親と子のための音楽レストラン」
 10月31日、日曜の午後4時。「親と子のための音楽レストラン」が始まる。親子で気軽に音楽に親しんでもらおうとの趣旨で、すでに3回目を迎える。この日は、チェロとピアノとマンドリンのトリオで、世界各地の音楽を奏でた。

 ホールで生まれた催しA「キッズプロジェクト」

 打瀬公民館ホールで生まれた催しの一つに「キッズプロジェクト」がある。主役は地域の子ども。物語に合わせて、歌い、踊り、奏でる。裏方は地域の大人。各人が得意分野で力を発揮する。プロの音楽家を呼ぶでもない、日常の練習成果を発表するでもない、新しいタイプのプロジェクトには、総勢200人ほどがかかわる。開催は過去2回。第1回は2002 年12月。映画「サウンド・オブ・ミュージック」の物語に沿ってさまざまな楽曲を歌い、踊り、奏でた(写真右〉。第2回 は翌年12月。「世界を風でめぐる」をテーマに立てて、世界各国の歌や踊りを披露した(写真左)。2005年夏にはいよいよ、3回目のキッズプロジェクトとしてミュージカルに挑戦する。ただ、演劇の要素も加わることから、舞台は近くにある高校のホールに移す予定だ
(写真提供:松村守康さん)  

(カルチャーちば 2005WINTER Vol.46)