かつて目指されていた幕張ベイタウン・コアのすがた

 

 幕張ベイタウン・コアは、企業庁が住民参加で作り上げた幕張ベイタウンの中核公共施設である。
 マスタープラン段階では「コミュニティコア」とされた、まさにコミュニティの中核となることを想定した施設である。

 当初の計画ではプチホテルを含む500人規模の音楽ホールを持つ施設である。
 これがバブル崩壊にともなう規模縮小でかなりスケールダウンしてしまったが、住民によるニーズ調査に基づき、小さいながらもきらりと光る要素として生音演奏に向いた200人の音楽ホールを併設するコミュニティ施設となった。

 この修正された計画には当初幕張ベイタウンに夢を抱いてやって来た住民達の、一度は縮小してしまった夢を取り戻したいという気持ちが反映されている。

 ニーズからはクラッシック音楽を中心とするイベントが期待されていたし、その他には住民が自ら活動する場としての機能が期待されていた。前者はまさに音楽ホールの機能そのものであるし、後者は貸部屋、貸しスタジオ、公民館、コミュニティセンターの機能である。

 つまり、求められていたのは貸部屋と自主運営のある音楽ホールとしての機能であったわけである。
 サークル等が利用しつつも、週末にはコンサートやイベントが行われ、街の人々に親しまれる施設を期待されていたわけである。

 その機能を満たすべく、設計を行った高谷氏は永田音響設計に参加を求めて音のよい小ホールを作り上げた。


 しかし、県企業庁は施設を作ったあとの運営には参加しないとしたし、千葉市は音楽ホールは受け取れないとした。その結果、公民館として千葉市が引き受けたのである。

 優秀な主事を配されて運用をはじめた当初こそ期待に近い形で運用され、住民も多くのイベントを企画運営した。
 しかし主事が交代すると運用ルールを書き換えられ、すっかりありふれた、サークル中心の公民館になってしまった。
 ごく普通の公民館であるから、千葉市規格の公民館を運営する予算しかなく、照明の電球の交換すらままならず、音楽ホールの機能が失われ、各種昇降装置の安全点検すらロクになされないという考えられない状況が生じてしまった。

 東北地方太平洋沖地震で各地のホール等の吊り天井が落下し死傷する被害が起きた。これを受けて各地で改修が行われているが、コアホールについては床面積が基準に満たないことを理由に改修の予定がない。10mを超える高さから落下してくればその下にいる人はひとたまりもないが放置状態にある。千葉市基準の点検では、破損の有無しか見ていない。

 
 筆者はコア設立前からチャリティコンサートをはじめ様々なイベントの運営に関わってきた。
 最近ではイベントの仕込みの段階で何かしらの問題を発見し、何とか回避策を打つことが繰り返されるようになっている。
 これでは、本番中に何が起こるか分からず、とてもお金を頂いてのイベントなど行える状況ではないと感じている。

 サークルの発表会程度であればあまり高度な機能は使わず、照明装置等にトラブルが起きても【公民館だから仕方が無い】で済むのかも知れないが、有料イベントではそうはいかない。その場で返金を求められてもやむを得ない。公民館側に賠償を求めることも難しく、あまりにリスクが高い。

 本来期待されていた音楽ホールとしての機能は、維持管理体制の問題ですでにかなり失われてしまったのである。
 
 あとは、単なる公民館として、他の千葉市公民館同様不具合を抱えながらもサークル利用を中心に、街の人々の多くにとって関わりの無い閉鎖的な施設としてやっていくのみなのだろう。

 作った企業庁は管理運営をするつもりがなく、施設を受け取った千葉市は高度な施設を生かさないどころか朽ちるに任せている。
 最初からこうなることが運命づけられて作られた幕張ベイタウン・コア設立とは一体何だったのだろうと思わずにはいられない。


 
(2017/9/18)

寄附者を制限する公民館の謎

 

 コミュニティコア研究会ピアノ管理委員会では、幕張ベイタウン・コア 音楽ホール文化振興基金から寄附を受けて引き継いだ約108万円のお金を、これまで基金で標榜してきた目的の一つであるピアノの維持管理にあてることにしている。ただし、音楽ホールの機能が、機器の故障で一部失われたり問題が発生しているので、その復旧に充てることも考えてきた。

 しかし、現在の公民館長の見解では、機器を寄附するに当たり、住民団体であるサークル連絡協議会に窓口を一本化しているから、同会を通じた寄附しか受け付けないという。

 これは驚愕すべき事態と言える。

 寄附というのは、自由意志に基づき行われる尊い行為で、有用な内容である限り寄附を受ける側は受けるにあたってその寄附を行った者に感謝を示して掲示したり表彰したりすることはある。

 しかし、ここでは寄付者を表彰するどころか、寄付者とは無関係の、館長が関与してきた特定の住民団体に所有権、財産権を譲渡させ、その団体の寄附としてしか受け付けないというのだ。これは寄附を特定団体に付け替えさせてその団体に対する便宜を図っている以外の何物でも無い。こんなこと通常の感覚で考えられるだろうか?

 これは、あきらかに憲法に規定される財産権の侵害であり、篤志を持つ個人や団体の心情と名誉を踏みにじる、信じ難い要求である。

 もちろんこのような不当な要求を受け入れなければよいだけで、コミュニティコア研究会では寄附を見送ることにした。

 サークル連絡協議会はサークルに関するとりまとめをする立場と考えることが出来るので、サークル関連の寄附を同会がサークルの同意の元とりまとめるのであれば問題は無いだろう。しかし、全く無関係の個人や団体にそんな権限がおよぶはずがないのである。

 もし公民館側が事務手続き上窓口を一本化したいと言うことであるのなら、サ連協が寄付者と公民館を仲介し、必要な事務を代行する下請けとして機能させればよいだけだ。寄附の主体を一本化するなど、狂気の沙汰である。これをごり押しするのであれば慰謝料を請求する民事訴訟が提起されてもおかしくない。

 いやはや、驚くばかりである。社会の常識、法の下の権利保護が公民館には及ばないのだろうか。

 
(2017/9/16)

幕張ベイタウン・コア音楽ホール文化振興基金の解散

 

 幕張ベイタウン・コア音楽ホール文化振興基金がこのほど解散に至ったが、もともとあえて作る必要の無い団体であった。コミュニティコア研究会の管理していた文化振興基金を取りあげ、コア研のメンバーをコンサート運営の実行部隊として位置づけ、街の行政が認定する住民団体の長を理事に置き、理事長を置いたものだが、理事や理事長は具体的な役割を担うことはなく内容はほとんど把握していない。単にお飾りであったと言っていい。理事として活動審査することもなかった。

 コミュニティコア研究会は幕張ベイタウン・コア設立以来の有力な住民組織として行政から認知されているが、その名を出さずに基金の名を名乗ったところで相手にすらされない。上層部を置かれたために動きをとりづらくなり、何もいいことはなかった。おまけに理事長と通じているコア研共同代表が事実上のトップになり、基金を私物化してしまった。

 コンサート運営は事実上のトップが懇意にしている若手演奏家が繰り返し呼ばれ、赤字が続き、コンサート自体も行われなくなっていった。

 解散にいたる直前には、元理事長と事実上のトップが基金のお金2万円弱を勝手に彼らが中心になっているサークル連絡協議会関係に使用するという事件が起こった。これに対する抗議を受けて、元理事長が基金の清算に関する会議を開くとしたが、言ったそばから彼らは基金のお金約108万円全額を、サークル連絡協議会に無断で移管しようするという事件まで起こった。

 これらは背任罪に当たる行為である。

 すべてのお金は自治会連合会ピアノ委員会が寄附を受けるという形で引き継ぐこととなったが、通帳を確認すると事実上のトップが通帳を管理している間に使途不明金があった。

 あらゆる点でむちゃくちゃである。

 筆者は早期解散を訴えてきたが元理事長が動こうとせず、随分時間がかかってしまった。

 死んだ団体が解散したところで何も正常化するわけではなく、問題は他へ移ってしまっている。現在の問題は、一部の人間が支配しているサークル連協が公民館に取り入っている部分である。彼らは頑なに市の機嫌を取っていれば公民館の運営権を与えられると信じているらしく、そのために他人を強制的に労働させたり、他の団体からお金を盗もうとしたりし続けている。一方で公民館側が彼らにとり込まれて、彼らに特権を与え便宜を図るという問題にまで発展している。

 公民館の運営権を手に入れたとして、それで何をしたいのかは全く分からない。協議会は本来指定管理者制度で公民館の管理を受託し、住民団体に丸投げすることで協議会の運営費を得ようとして関わってきた。運営権を手に入れたところでもともと足りない予算しかない公民館からお金を更に抜くなど困難だ。起きることはせいぜい一部のものが公民館の運営を支配するようになるだけだろう。これまで他人をお金を得る手段として強制労働させることばかり考え、意見を求めるべき時にも全く民主的ではなかった彼らが急に民主的な運営をはじめるとは到底考えられない。

 なぜこうも問題が起こされ続け、一部の人間がその処理に当たり続けなければならないのか。
 
 何故こうも打瀬の住民運動はおかしくなってしまったのか。

(2017/9/16)

呆れかえる一部の住民たち

 

 ここ3年ほどの間で、筆者は幕張ベイタウンにおける住民活動の劣化ぶりを思い知った。
 ごく一部の人々が他人をなにがしかの名目で動員したり、半強制的に参加せざるを得なくして、その支配層に自分をおいてしまうと言うことが繰り返されている。
 そこで行われているのは、一般サークル等から都合よく労力を提供させたりお金を提供させることによって、支配層が何も具体的努力をすることなく果実を得てしまう構造作りである。

 しかし、考える会ではサークルは自由参加であったために早期に撤退した。
 その反省を踏まえて、他の公民館における「クラブ連絡協議会」の類似組織「サークル連絡協議会」では、サークル同士の親睦と公民館まつりのための組織という建前でサークルを半強制参加させて、実態は「考える会」と同様のことを目指している。

 サ連協では館長に信用させて、サークルのみならずあらゆる個人や団体からの寄附をサ連協がとりまとめ、サ連協が寄附主体となることでのみ寄附が可能という驚くべき非常識な枠組みを作り、館長自らこれを推進している。

 これなども枠組みを作ればサ連協の中心人物らが寄付金を集める努力をせずとも、誰かが寄附を行おうとすれば自動的にサ連協が公民館のために寄附を行ったことになってしまう。実際に寄附をした個人や団体の名誉は考慮されない。

 実際、痛んでいた和室の畳表が換えられていて、これはサ連協からの寄附であると説明されていたが、実際は和室を使うサークルの講師の寄附であった。これをあたかもサ連協の努力で寄附が行われたかのように対外的に説明されていたのである。

 枠組みを作り、あたかも熱心に活動して公民館の維持管理のために力を尽くしているようなポーズを取ろうとも、実際に彼らを支持し積極的に寄付を集めたりボランティアでお金を集めようという人々がいる訳ではない。考える会同様誰も実際には動かない。実行力のない空虚なものなのだ。

 コミュニティコア研究会ではこれまでチャリティコンサートや寄附を受けて積み上げてきた資金から音響機器や照明関係で数十万円分の機材の寄附を行おうとしたが、サ連協を通じての寄附しか認めないと館長から告げられ、驚愕しているところである。驚くべき事態に、寄附の大部分を取りやめた。

 一部の住民が他人を搾取して労力やお金を提供させ、それをつかって行政を信用させる。呆れるしかない。

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 考えてみれば、このほど解散した幕張ベイタウン・コア音楽ホール文化振興基金も全く同様の枠組みであった。
 それまで文化振興基金を作り管理していたコミュニティコア研究会から、カリスマリーダーが去ったのを機会に、突然基金の管理権を奪い、基金を管理運営する新しい団体を作り、作った人物が理事長に座り、コア研を自治会連合会から除籍し、基金の実行部隊に位置づけてしまったのだ。コア研にはメリットがないどころかデメリットばかり。この枠組みがうまく行けば理事長についた人物は果実を自動的に得るという搾取の構造にあった。
 同じ人物らが考える会、サ連協に大きく関わっている。同じことを繰り返しているわけだ。

 おかしなことを行うのは常に同じ日中もベイタウンにいる一部の人物で、打瀬の中でもごく限られている。しかし、意見をほとんど言わないサークルなどの人々を多く集めて組織を作っては中心に座ってしまい、反対の意見を持つものを排除するので、その組織がを支配する者たちが唯一の住民代表として扱われてしまう。

 かつてはこのようなことはなかった。一部のもの達が打瀬の住民運動を歪めているのである。

(2017/9/15)

 

サークルはもっとしっかりしないといいようにされる

 

一部の、公民館を自分たちの管理下に置きたいと思っている人々は、これまで幾度も他人を利用しようとしてきた。

 「公民館の運営を考える会」の立ち上げで既にそうした傾向ははっきりしていた。

 主に公民館公認サークルの代表や主立った人に対して、「このままではコアは10年持たない」という根拠不明な煽りで、それとは無関係な【千葉市による公民館への住民参画の提案説明会】に動員し、千葉市の提案と無関係にその場に集まった(実質呼びかけ人が声をかけた)人たちだけで「公民館の運営を考える会」を立ち上げ、行政と交渉する住民代表を名乗ってしまったのである。声をかけられていない人はそんなことは全く知らずカヤの外にされてしまった。

 その後の会議もおよそ民主的とは言いがたく、事前に一部のものだけで話の方向を決め、他の意見を一部の者たちの誘導で方向付けてしまい、あとは事実上一部のものが報告を行い、勝手に決議してしまう状態だった。議事録と称する作文では、あたかもそれがその場にいた参加者の自然な意見であったかのように印象づけられていた。

 サークル代表らは自分たちが使っている施設の危機と聞いて参加したのに、それと全く関係のない公民館の住民運営の話ばかりをされ、あげくに資金捻出のために自分たちがボランティアで働かされるという話が勝手に進められてしまう。その状況に嫌になって他の理由をつけてほぼ参加者はなくなってしまった。

 「考える会」はサークルの支持を得られず、事実上崩壊したが、次に出てきたのが「サークル連絡協議会」である。これは一般の公民館にある「クラブ連絡協議会」と似た位置づけを持っていて、公民館公認サークルを対象とした親睦・連絡組織、公民館まつりのための連絡組織という側面を持つ。一方で事実上支配しているのは「考える会」から横滑りしてきた人たちで、彼らが立ち上げたものである。内容も、一般サークルが関わらない「考える会」から横滑りさせた内容を含んでいる点がいわゆるク連協と異なっている。

 もともと公民館まつりのためには実行委員会を組織していたので、このような組織は必要なかったのである。それをここに来てわざわざ作ったのは、建前はサークルの意志を集約する組織を作るため。実質は支配している者たちがサークルの支持の元に活動しているという重み付けのために作られたのだ。

 「考える会」が崩壊したのはサークルをつなぎ止めるすべを持たなかったためで、「サ連協」は実質半強制参加であるから自動的にサークルの支持を取り付けたことにすることが出来るという目算であろう。

 実際の運営でも、サークル側は会議の場で急に議題を出され、決議を求められるが、決定権のない代理の人間が参加しているケースも多く、また、その場で結論を出せるようなものでもない。本来なら持ち帰って各サークルで検討すべきものでもその場での了承を求められる。

 建前が「公民館のため」と言われると反対しづらいし、しかも「反対の方は挙手をお願いします」と言われるためにますます反対しづらいという。

 結果、議事進行している代表者達に一任してしまい、「私たちは公民館まつりのために参加しているのだから、彼らのやっている事とは関係がない」と言ったりしてしまう。

 

 ここに大きな問題がある。

 いくら一方的な議事進行で形式的な了承をとっているとは言え、反対しなければそれは賛成と見なされるのだ。ここでの決議は公民館や千葉市は全サークルの意思であると見なすはずだ。

 私は「考える会」の時からサークル代表らに「明確に意志を示さないと、彼らのいいようにされる」と言い続けてきた。「サ連協」ではますますその行動の重要性が増している。

 自分は賛成していないから関係ないというのは通らない。反対していない以上賛成したと見なされるのだ。

 しかし彼らの多くは、角が立つことを気にし、ここでいい顔をしておかないと将来住民運営になったときに何されるか分からないなどと考え、自分たちの意志を示すことなく、流されて了承していく。実に日本人らしい行動だ。

 

 各サークルにはよくよく考えて行動をして欲しいし、こんなデタラメな組織についておかしいと思うなら脱退を考えるべきだ。

 最終的に責任を取らされるのは各サークルになってしまう構造であることをよく認識するべきだ。

 

(2017/8/15)

 

 

 

寄付を求めるサークル連絡協議会

 

 ベイタウンニュース8月1日号で、奇妙なものを見かけた。

 

 http://www.baytown-news.net/eBook/Vol243.pdf

 何の説明もなく、唐突に募金を募っている。これを見たある住民は「何、あれ?」と驚いていた。

 何の説明もなくこのような募金を募るのは一体どういうことか?

 

 おそらくは千葉市が施設維持に差し支える乏しい公民館予算しか組んでいない上に、コアの施設内容に見合わぬ一般公民館予算しか降ろさないために施設維持に問題が生じているから、その分を募金でまかなおうと言うことなのかも知れない。

 しかし、大きな問題がまず2つ。

 一つは募金という手段が施設運営の実態にそぐわないことだ。

 公民館が一般に閉鎖的でごく限られた公民館公認サークルユーザーが利用するだけの施設であり、いくら施設維持にお金が足らないからと言って、一般の人から賛同を得るのはまず持って困難と言うこと。まずは閉鎖性の打破をすべきであり、音楽ホールを生かした有名演奏家のコンサートなどを数多く開催するなどすれば、意識も変わってくるであろう。
 イタリアは大戦中に空襲を受け様々なものが消失したが、戦後人々が真っ先に再建したのがオペラホールだったという話があるそうだ。現状の単なる公民館と化したコアが街の人々にそれほどに愛されていないという認識がないのには呆れる。さすがは文化振興基金を私物化し街の音楽文化振興からかけ離れた存在にしてしまった人物の呼びかけである。

 もう一つは、運動を向けるべき先が違うと言うことだ。

 施設管理の責任は第一に千葉市にあり、施設を県企業庁からもらい受けながら、施設を維持するための予算を組んでいないことが根本的な問題である。しかし今後千葉市から権利を譲渡されることを狙うばかりに責任追及をあえて避け、事実上無関係な一般住民に募金を求めるのはお門違いもいいところだろう。ただでさえ閉鎖的な運用ばかりの公民館に予算が割かれることは多くの人にとって望まないものになっている。そこに更にお金を出せと言ったところで応じるとは思えない。

 加えて、施設維持には今後数百万〜数千万円の規模で資金を必要とする。それを募金でまかなえるのかどうか考えてみればいい。極めて困難である。100万円あっても今壊れている音響設備や、たびたび切れて交換予算がない照明の電球を購入するだけで使い尽くしてしまう。

  施設管理に大きな責任を持つ千葉市に維持管理予算を組むよう運動することがまずやるべき事であり、その中で、住民にできることがあるのであればやろうと言うのが本筋だろう。

 彼らの行いは常に、住民がチャリティコンサートを運営し、ピアノ基金への募金を訴えたのとは全く違う。ピアノは様々なコンサートやピアノ発表会を通じて街の多くの人に還元されうるものである。ところがそうしたソフト抜きで、サークルが使うばかりのコアというハードの維持のための予算をと呼びかけたところで、住民に還元されるようにはとても思えない。

 当初のコアが目指していたような、多くの人たちが利用しやすい施設、週末に足を向ければ何かのコンサートやイベントをやっているような、親しまれる施設。そういったものになるよう住民が運営していくと言うことなら、賛同も得られるだろう。

 サ連協をの名前で活動する一部の人たちは、根本的に行動がおかしいのだ。これほどコアが住民にとって大切な場であると言うことが分かるような具体的なイベントなどを仕掛けて、はじめて募金への呼びかけができるはずだ。成功したピアノ基金とて、コンサートも行わずにただ募金だけ呼びかけたところで応じる者は少なかっただろう。

 

 私がピアノ購入活動の中心にいたとき様々な反対意見に出会ったが、結局は「あなたの熱意に賛同する」と協力してくれるようになった経験を私は忘れていない。

 

 いまのごく一部の人たちがやっている活動が、何の説得力も持たないことは、冒頭に紹介した住民の感想でよく分かる。【考える会】でもベイタウンニュースを使って事実と異なる広報ばかりしていた

 サ連協主催などと言うとあたかもそれぞれのサークル達の積極的な総意のように見えるかも知れないが、実は全くそうではない。サークル連絡協議会を名乗っているが、多くのサークルは公民館まつりのために参加しているのであってほとんどこうしたことには関わっていない。【考える会】から横滑りしてきたごく少数の人たちがやっているだけのことだ。サークル連絡協議会は、彼らの発言、活動が公民館サークルの支持の上にあるという箔をつけるのに利用されている面が多分にある。

 その彼らはつい先日、幕張ベイタウン・コア文化振興基金のお金約100万円を無断でサ連協に移管しようとすということまでやっている。通帳を預かっているものがサ連協の会議で突然受け入れの決議をしろと発議したのだ。事情を知るものがたまたまいたのでストップをかけられたが、そうでなければピアノと文化振興のために集めてきた基金を勝手に移管され、使われてしまうところだった

 打瀬の住民活動の、目を被わんばかりの劣化ぶりには悲しくなるばかりだ。

 

(2017/8/6)

 

 

施設の劣化を招く似非住民活動

 「公民館の運営を考える会」が、千葉市の法令違反の住民派遣労働提案を受け入れると表明しながら、提案を実現するための体制作り、予算検討をせず、「考える会」中心メンバーによって無償労働力のあてにされていたサークルも逃げだして、事実上崩壊。一方の千葉市は法令違反を回避した再提案をしないままに終わった。

 その後、打瀬公民館にサークル連絡協議会(以下サ連協)が立ち上げられたが、中身を見てみると実質「考える会」の看板すげ替えで、こちらは有志の集まりが建前の考える会と違い、サークルは半強制参加であるという点で「考える会」より厄介な存在になっている。

 サ連協は、コアフェスタという公民館まつりの実施が本来的な役割であるが、立ち上げメンバーにより施設の維持管理が活動項目に加えられている。この部分は担当者も含め「考える会」の横滑りだ。

 施設の維持管理は施設管理者である千葉市の領分である。しかし、市は公民館のための予算を削りに削っている上に、幕張ベイタウン・コアという県企業庁からの極めて豪華な寄付施設を維持管理するための予算を組んでいない。このため、直接危険が及ぶような状況が発生しない限り、設備が故障してもそのまま放置されているのが実態である。ホールの照明の電球が切れても、交換予算がない。およそ公共ホールでは考えられない状況にある。

 この状況について、千葉市に管理責任を問うのが本筋である。しかし、「考える会」中心メンバーはそれを忌避してきた。その狙いは、公民館における彼らの権限拡大にある。公民館の運営を自分たちの支配下に置くことが目的になっており、その権限を持っている千葉市にいい顔をし、行政の義務を肩代わりすることで権限の委譲を狙っている。

 このため、市と直接事を構えることを避けてきた。市の責任を問うことをせず、その責任を自分たちが肩代わりし、施設維持予算を自分たちで出すということを表明してきた。

 これだけみると大層立派な意思表明であるが、根本的な部分が抜け落ちている。お金を出すといいながら財源がないのである。

 現在でも音響機器がいくつも壊れて修理されないままになっており、修理に数十万円を要する。ホール照明電球は1つ1万円程度だがこれが年間に数個から十数個切れる。この消耗品予算でも毎年10万円以上は必要とする。
 今後、音響機器、照明機器、舞台昇降装置、照明・美術バトン昇降装置などが故障していくことが予想できるが、これらの修繕でも数百万円かかってくる。空調装置やゴミ空送設備の故障は何とか市の予算をやりくりして最優先で直しているが、もっと大きな費用がかかってくると市が改めて予算を組まない限り手に負えなくなる。
 施設がすでに15年経過し、本来なら設備の更新をする時期だが、そんな予算は組まれていないので、都度修繕しか出来ず、その費用はふくれあがっていく。

 施設維持管理には、おそらく今後数千万円かかって行くであろう。

 そうしたことを想定せず、「自分たちの費用で修繕する」と無責任に言っているのである。しかし現実にできることと言えばせいぜい日曜大工レベルの修繕をするか、安価な消耗品を寄付する程度だ。

■次々に起こる事件

 彼らが今目をつけているのが、「幕張ベイタウン・コア 音楽ホール文化振興基金」が積み上げた100万円の資金である。
 この団体は「考える会及びサ連協の中心メンバー」が実権を握り放蕩運営の末資金を減らした上活動停止状態になっている。この団体は解散することになっているがこの資金の受け皿をどうするかが棚上げ状態になっている。、これをサ連協がほしがっているのである。

 解散に向けて基金関係者で処置を話し合うことになっており、資金は当然凍結状態になっていた。
 しかし、通帳を持っているメンバー(=考える会及びサ連協中心メンバー)が勝手に予算を動かし、他のメンバーから抗議を受けてその分を補填する事件が起きた。

 これを受けて早期に基金のメンバーで話し合いをして資金の始末の方針を決めることで合意していた。

 それにもかかわらず、今度は同じ「考える会及びサ連協中心メンバー」がサ連協の会合で「この資金100万円ほどをサ連協で使う事が出来る。受け入れるならこの場で結論を出してくれ」と検討を迫るという事件が起きたのである。

 たまたまその場に基金のメンバーがいてストップをかけたのだが、いなければその場でサ連協にお金を渡すことになっていたはずだ。

 倫理も論理もへったくれもなく、もうむちゃくちゃと言うよりほかない。やってしまえば事後承認されるとでも思っていたのだろうか。まるで子供だ。このうちの一人は自治会連合会の要職経験者でもある。

■資金を他に依存しようとする「考える会及びサ連協中心メンバー」

 考えてみれば、考える会でも彼らは自分たちで汗かくことなく「誰か」を無償で働かせることで千葉市からの業務委託料を自分たちの自由にしようとしていた。
 それが断たれるとお金を生み出しようがなく、今度は他のお金を奪い取ることを考えているのである。

 しかし、もしそうしてお金をつくっても、支出は底なしである。あっという間に使い付くすことは目に見えている。その後はどうするのかという想定はない。実際当人に「30万円を渡してそれを元手に活動を続けることが出来るか?」と問うとできないと言い、「ならばいくら必要なのか」と問うと「分からない」というのである。要するに現実的なことを何も考えていないのだ。

 最初から施設を健全に維持しようとするのであれば、現実性のあるプランを考える。稼いで寄付をするとしても、現実的な枠を設定する。ここでは施設管理者である千葉市が最初から施設を維持するための予算を組んでいないことが問題なので、市の責任を問うことはまず最初にやるべきことである。

 しかし、彼らは市から公民館権限を委譲されることが目的であるために、市と事を構えることを避けている。それどころか市の責任を肩代わりすることを表明し実績をつくることで得点を稼ごうとしているのである。だから、資金の出所は千葉市であってはならず、彼らを通過しなくてはならないと考えているのだ。

 基金の原資は、ピアノ購入のための寄付やコミュニティコア研究会によるのピアノ購入チャリティコンサートの売上をプールしてきたお金の購入残金で、購入後はピアノの維持管理、音楽文化振興に充てるべくチャリティでプールしてきたお金だ。寄付いただいたりボランティアが苦労して稼いできたお金であり、降ってわいたお金ではない。当然寄付した者もボランティアで協力した者も、ピアノと文化振興のために使われることを前提にしてきた。そのためのチャリティだったのだから、目的外の使用は許されない。

 しかし「考える会及びサ連協中心メンバー」は、お金を自分たちで稼ぎ出す目算もないまま、使うことだけを決めていて、あげくに予算を奪い取るという事件を起こした。これまでの基金のための人々の善意を踏みにじる行為と言っていい。

 過去には他人を無償労働させようとし、今度は他のお金を奪い取ることで、千葉市に恩を売ろうとしているのだ。呆れて物が言えない。しかも、恩を売れば権限が委譲されると勝手に思っているだけで、何の担保もない。まともな感覚では無い。

 これを続けていくことで、本来問うべき千葉市の管理責任が問われないまま設備の劣化が進んでいく。そうするうちに音楽ホールとしての機能はどんどん失われていき、単なる講堂としての機能しか持たなくなるだろう。

 千葉市には、「ぱ・る・るホール」を買い取りながら、あまり時がたたないうちに老朽化を理由に解体しようとした実績がある(売却で決着、売却先公募予定)。もともと通常の施設より維持管理予算が大きいことが分かっており、近い将来設備更新が必要であることも明らかで、維持のコストが大きいことが分かっていたのだが、それにもかかわらず郵政公社から引き取り、維持管理費用が大きいことを理由に解体しようとしている。コストだけを考えれば購入するはずがなく、買った以上は使える部分だけでも残して運用すべきだが、そのつもりがないらしい。最初から解体することが決まっていたとしか思われない。政治的理由で購入した可能性が極めて大きい。

 コアホールも県企業庁から押しつけられた施設で、維持コストが大きいことが分かっていながら受け入れており、そのための予算措置をしていない。既存の廉価な公民館すら維持できない予算では劣化する一方である。生かすつもりのない施設で、「ぱ・る・るホール」と構造が似ている。コアもコストが大きいからコストをかけず、コストをかけないから劣化が進み想定寿命を待たずに解体する、ということが起こりかねない。

 早めに千葉市の責任を明確にし、維持予算を確保しないと早期に機能を失うのは明らかだが、それを阻んでいるのが「考える会及びサ連協中心メンバー」なのである。

 なお、ある住民が市長に直接問い合わせ、市長は維持管理のために柔軟な予算対応を指示したと回答している。きちんと筋を通せば現在より状況は改善するはずであるが、ここでも「考える会及びサ連協中心メンバー」はその回答をあえて無視して、自分たちを経由してお金を出すことにこだわっている。その結果、引き出せる予算すら引き出せない状態が続いている。


 実質的に彼らに出来ることがあるとすれば、せいぜい日曜大工レベルの破損修繕程度だがそれすらあやしい。お金もない、技術もない、人もいない(強制労働を課されるために人は離れ、また長年貢献してきた技術のある人を邪魔だと排除した)。

 彼らの活動は全体を見れば施設維持の上でマイナスにしかなっていない。これは彼ら自身のための活動でしかなく、これはもはや「似非住民活動」と言うべきだろう。

(2017.7.16)


市による幕張ベイタウン・コアの運営は、最初からただの公民館だったのか? (2016/6/19)

 サントリーホール等名だたる音楽ホールを手掛けた永田音響が音響設計を行った音楽ホールをもつ、千葉市の公民館基準を遙かに上回る施設をもつ幕張ベイタウン・コアは、千葉市ではなく千葉県企業庁が建設した施設である。

 幕張ベイタウンの様々な道路や施設は当初から千葉市に移管されることになっていたが、同様にこの施設も当初から千葉市に移管されることを前提としていた。あきらかに公民館の規格に収まらないこの施設を、千葉市は「公民館としてなら受け取る」としたのである。

 特定地区のために特殊な施設を運営するつもりがない、という意思表明でもあったのだろう。

 しかし、この施設は単なる公民館としては運営されなかった。開館イベント予算として200万円ほどがつけられ、他の公民館では考えられない、施設紹介のカラーパンフレットも用意された。
 交渉の末とは言え、当初60万円のピアノ予算が230万円に大幅に増額された。
 ホール運営があり業務量が多いことを前提に、通常窓口の非常勤職員は1名であるところを2名が配置された。

 そして、初代の主事は極めて優秀な方(後、教育委員会の要職に栄転している)が配置され、音楽ホールの特性を活かした運営を心がけられていた。
 土日祝日はサークルではなく音楽イベントに利用のプライオリティをつけ、コンサート等の開催を行いやすくした。また、住民の意見を運営に取り入れ、柔軟な運営を心がけた。
 自ら高所のホール照明球を交換するなど、経費の削減にも取り組んでいた。
 
 当初の運営は、住民の意見が多く取り入れられ、音楽ホールを活かした柔軟な運営もなされ、一般公民館とは一線を画したよい運営がなされていたのである。

 住民らはこれで安心してしまった。当初想定していた、住民による施設運営をせずとも、理想に近い運営がなされており、今後もこれが続くものと思い込んでしまった。そのために住民運営の気運は急速にしぼんだのである。

 しかし、2代目の主事はこの特殊性をすべて削り取り、利用者が知らぬ間に公民館運営の規則を一般的なものに置き換えていった。
 予算についてもホールを含めた維持管理に通常公民館を遙かに上回る額が必要であることが分かっていながら、積極的に予算請求をすることもなかった。

 生涯学習振興課はコアがどのような状況にあるかを把握せず、特段維持管理予算をつけることもしなかった。

 注意して頂きたいのは、千葉市の財政が苦しいからホール予算を削ったのではなく、当初からホール予算をつけていなかったということである。最初から維持管理を想定していなかったのだ。

 歴代館長は、何とか与えられるものだけでなんとかしようとし、予算がないからと中庭の草刈りや伸びすぎた枝の伐採など自ら行った。

 千葉市の公民館では、中核館と呼ばれる公民館に予算配分され、これがその下にある公民館に分配される。歴代館長は中核公民館に予算を請求するほかなく、中核館の館長は与えられた予算の配分をするほかないため、他の公民館の予算を削って打瀬公民館に振り向けるということを行っていた。もちろん、これでは他の公民館は大いに困るし、打瀬も全く予算が足らないままである。そもそもが打瀬の施設を維持することを想定していないのである。

 照明装置等の各種昇降装置の安全点検すら行わずにいた(知りあいに見てもらったと言う館長がいたが、責任を負える業者に依頼しなければ点検の意味がない)。もし照明装置が落下すれば大事故であるが、安全は二の次にされてきた。

 生涯学習振興課は現状を把握しないまま簡易な設備しかない一般公民館と同じ予算での運用を求め、歴代館長はそれに従い続けたのである。その結果、ホールの照明のみならず、蛍光灯すらきれたままになってしまったのだ。

 実際に話をしてみると、音楽ホールというものを管理したことがない生涯学習振興課は、どれほど多くの予算を必要とするものかという意識が希薄であった。
 生涯学習部の管理職は、「打瀬は無料の施設なのだから、お金はかけられない」とも曰った。ならば命に関わる設備は今すぐ使用禁止にすべきである。施設の管理に責任をもつ気がないのなら、そうするより仕方ない。

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 幕張ベイタウン・コアは当初は優れた運営をされており、開館時には他ではあり得ない予算をつけられてもいた。

 しかし、人事異動などで設立当時の人間がいなくなると、単なる公民館として運用されるだけになってしまった。必要な予算を請求せず、安全すら二の次にする運営が当たり前になってしまったのである。

 だが、この状況に改善の芽が出てきた。熊谷市長は、「予算がないため安全点検もできておらず、照明の球の交換もできない現状」を訴えた筆者の問い合わせに対し、「柔軟な予算運営を指示した」と返答したのである。

 更に、本来一般に扱わせるはずのないホール昇降装置を立ち会いも注意喚起もな使用させ続けた結果、ホールのせりあがり舞台を破損する事故が起きてしまったのだ。

 これをきっかけに、生涯学習振興課はようやく考えを改め、きちんと管理を行うことを表明した。

 予算も、課の意識も改善したかに見えた。

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 しかし、意識を改めたという課は決して現状の問題を調査したりはせず、現場に注意換気をしただけ終わってしまった。
 全く現状を把握できておらず、何がどこにあるかも分からず放置状態にある管理体制そのものを見直すことはなく、単に昇降装置を動かす際に立ち会う程度の対応に終わってしまっている。膨大な音響をはじめとする設備等が全く管理されず、壊れる、壊されるままになっている状況はまるで変わっていない。

 予算請求についても、課は中核館を通してまず予算を使い切れと言うのみだそうだ。しかし、中核館は今まで通り配分された予算を再配分する以上の対応をしようとしない。どうすればコアを維持するための予算が執行されるのかを課は示さず、中核館にも指示していないので、現状は何も変わっていないのだ。
 館長は他の公民館予算を回してもらっていると恐縮するのみで、これでは話にならない。

 現場の館長がまず強く予算請求しないことにはどうにもならないが、嘱託館長では限界がある。
 さらに中核館の館長がこれまで通りの対応を続けていたのではどうにもならない。市長から指示されたのに中核館に何も指示しない課の対応は卑怯と言ってもいい。

 公民館に新たな予算を請求するのは本当に難しい。特に千葉市の場合は。これまで請求されていなかった予算を認めさせるには相当な意志が必要だろう。

 残念ながら課には、現状に危機意識を持ち、予算を求めるようなそんな意志を持った人間はいないようだ。そもそもが予算食いのコアはお荷物としか認識されていない可能性が高い。

 現場には、思い入れを強く持ち、信じ難いほどの労力を割いてきた初代主事のような人材はいない。普通の公民館か、それにも及ばない程度のはたらきしかしない主事しか後任には来なかった。

 あとは、住民が強く訴えて動かしていくしかないが、大きな維持管理費を必要とする設備を受け取っていながら必要な予算をつけず、責任を持とうとしない生涯学習振興課に対し、今の住民は何故か消極的な姿勢が目立つ。
 その背景は、設備が使えなくなると脅し自分たちで維持管理を行うという建前でサークルらに無償協力させ、市から運営委託費を取って自由な財源を作ろうという思惑があったためである。
 それが潰えた今、「自分たちで維持管理する」という建前の一部が素直に信じた住民に引き継がれたような形になっている。それ自体はよいことかも知れない。
 しかし、彼らはホール設備に疎く、全く現状を把握しておらず、極めて認識が甘い。自分たちでお金を稼ぎ出すという開館以来続けてきたことが、彼らの発想にはないらしい。
 そのため出てくる話は現実を踏まえない実現性のないことや、利用者からお金を徴収すると言った安易で強制性のあることばかりだ。これでは「自分たちで維持管理に協力する」という目的は絵に描いた餅になりかねない。出来る範囲でやるのはいいが、誰でもできることをやったところで膨大な費用を必要とする音楽ホールの維持問題はほとんど解決しない。専門知識を持つ人間が必要だが、残念ながら設備をもっとも把握し維持管理に関わってきた人材を、「考える会呼びかけ人」が「ボスになられては困る」と吊し上げの上排除したので、協力を得るのは困難になっている。

 住民側の問題はともかく、問題の中心は千葉市が設備の維持管理に責任を持とうとしないことにあるのだ。ここを勘違いしてはいけない。


 コラム 行政の賃金の考え方への違和感 (2016/3/14)

 近年、行政が極めて低賃金で雇用を行う「官製ワーキングプア」が問題になっている。
 元々、行政が発注する業務の額が低すぎるために人件費が充分出せないという問題であるが、行政の直接雇用の待遇が劣悪になっていることも指すようになってきた。

 近年小さな政府という名目で人件費の抑制が行われてきたが、行政の業務量は変わらないか増えている。そこで低コスト労働力として非正規雇用を大幅に増やしている。今や地方行政職員の1/3は非正規という。
 非正規公務員の待遇は、ほぼ最低賃金(千葉であればH27年度で817円)で1年契約で更新は予算次第。もちろん退職金もない。正規の1/5程度の人件費という。年収100万円台で、まさに貧困レベルである。
 一般に行政の非正規労働はセーフティネットとも言われるが、生活保護を受けた方がましなケースすらありうる。
 このような行政主導で劣悪な雇用ばかりが増え、経済停滞の原因にもなっている。一方で正規職員の手厚い待遇は維持されたままである。

 しかし、これ以前から、もっと劣悪なことが行われている。NPO法人などへの事業委託である。
 発注する事業費は、事業の完成に対して払われるため、どのように使われるかについては発注側は関知しない。受託側で最低賃金を下回ろうが、何が起ころうが、事業を受けた側の問題になる。発注側に法令違反はない。
 このため、行政の直接雇用では不可能な低賃金で事業委託が行われることが常態化してきた。

 NPO法人側は、ボランティアの使用で成り立っていることが多く、まともに雇用をすれば事業としては全くペイしない。本来、ボランティアは生き甲斐など本人がなんらかのメリットを得ることで成り立っているが、一部では地域的なつながりなどによる強制的な労働になっている部分もあるという。

 行政は低コストのNPO法人等への業務委託に慣れ親しんできた面がある。建前は民間や地域の専門性や活力の活用だが、実体はコストカットの面が大きい。
 そこに人件費の抑制で本体の行政も非正規職員の大量雇用へと進んできた。次なるコストカットは非正規職員に変わってボランティアを活用することという思考になってもおかしくはない。今回の千葉市公民館への住民参画は、まさにその流れにあるように見える。

 住民参画を名目に、一人分の非常勤職員(正規職員の1/5程度)や嘱託主事職員(正規職員の半分未満)のコストで公民館講座運営費を含めた事業委託を行い、現状の公民館の諸課題を解決、活性化させるという。
 だが、日本の法律の下では、そんな虫のいいことはできない。
 主事一人分のコストで複数名が同時に動かざるを得ないので、当然最低賃金を下回る。最低賃金法違反。
 住民団体に業務を委託し勤務を義務づけるのであるから派遣労働に当たる。住民団体が派遣業を営むのは困難であるから、実体は偽装請負になる。住民団体は労働者派遣法違反、千葉市は職業安定法違反となる。
 ここまでに3つの労働関係法規に違反する。

 NPO法人への業務委託同様に、コストカットのためにボランティアで住民を勤務させようという考え方そのものが根本から間違っている。勤務は極めて労働性が高く義務が伴う。それは労働者搾取そのものだ。

 我々は行政サービスを受けられる前提で税金を支払っている。
 その行政で納税者である労働者から搾取が行われる一方で、正規職員が低負荷な業務であっても厚待遇で雇用され続けている。
 このような社会が健全であろうはずがない。

 既にいる正規職員が本当に十分な仕事をしているのだろうか。たとえば公民館では社会教育主事の資格もない職員を配置し、生涯教育の建前を生かせず、単なる部屋貸しになっていたり、閉鎖的で講座もごく一部住民だけが利用するものになっている。
 だから住民をボランティアで活用すると言うが、それ以前に職員の活用ができていない点をどう考えているのだろう。
 住民を活用したければ、正規職員に代わって雇用すればよい。これまでの正規職員より遙かにはたらきのよい職員を雇用できる可能性がある。
 今いる職員の首を切れなくても団塊世代の大量退職が起きているのだから、それを充てればよいのだ。

コラム:コアホールの維持について  〜本当にあと10年もたないのか〜


 幕張ベイタウン・コアは県企業庁が建築し千葉市に「公民館」として引き取られたが、維持管理予算は千葉市規格の公民館のものしかなく、音楽ホールの様々な音響・照明・舞台設備や施設全体にわたる高規格な器具類の消耗品をまかなうことができていない。また、照明等の昇降装置やや昇降舞台の安全点検すら行っていなかった。2014年末には吊り照明36機のうち10機の電球が切れ、予算不足から交換できない状態になっていた。

 千葉市では地区ごとに中核公民館を設定し、統轄する公民館へ予算配分しているが、コアの維持管理を行うために、他の公民館予算を削って回しているという。しかしもともとコアホールの仕様を考慮してせず予算請求しているため、このやり方には無理がある。

 この状況の中、住民は、コンサート収益を文化振興に当てると言う「文化振興基金」から照明装置の電球10万円分を購入し寄付した。

 しかし何故か、「考える会」呼びかけ人らは千葉市が本来行うべき維持管理をさせたり、予算請求を行わせることを避け、公民館利用者にボランティアをさせて維持管理費を捻出するという名目で「講座企画運営」に関わることを推し進めている。

 千葉市は財政が厳しく財政再建団体一歩手前であるのは確かだが、ホール予算などが予算不足で削減されたのではなく、もともとホールの維持を考慮しておらず、維持する予算をつけていなかったのであり、全てを画一的に扱おうとする所轄課の姿勢が問題なのである。これが改善されない限り将来の運営も同様であり続ける可能性がある。「考える会」は問題をすり替えている。

 なお、ホールに詳しい一部住民から、設備の安全点検が行われておらず、音響や照明などの装置の操作ができないどころかどこに何があるかの把握すらしていない無管理状態の指摘を受けたこと、また本来ホール専属技師が操作すべき昇降舞台を指導も監督もせず使用させ破損させる事故が発生したことから管理運用体制を見直すとしている。修繕についても当然のこととして責任を持つともしている。実際2014年末の昇降舞台破損時は数日で補修が行われ、イベントに間に合わせた。
 また、熊谷市長は一部住民からのホール維持管理予算が付いていないことについての質問に応え、所轄課に画一ではなく柔軟な予算対応を指示したという。市長は必要なところに必要な予算を確保するという、当たり前のことを実践した。

 一部住民が筋を通して話をすることで、市所轄課は現状を把握し、施設管理者責任を果たしてこなかったことについて認め、改善を図ろうとしている。ホールの維持管理については危機的状況を脱していると言える。

 「あと10年もたない」というのは根拠がない、単なる煽り文句である。

 「考える会」は「ホールがあと10年保たない」などとして危機意識を煽り、「考える会」へのサークルの参加を呼びかけているが、呼びかけ人がベイタウンニュースに書いている記事を見る限り、サークルに講座運営を無償で行わせ、それを「公民館講座」と位置づけることで講座運営費を浮かせてプールし、「考える会」でコントロールできる財源を作ろうとしているようだ。その使途は本当に維持管理のためだけなのだろうか。委託金のうちどの程度を講座企画運営費と見積もっているのかも明らかにしていないが、過去、窓口業務をボランティアで行う、勤務をするものに多くの賃金を出すつもりはないと主張していていたこともあり、講座企画運営費を市直営の15〜20万円程度より多く充てることを見積もっているのかも知れない。予算配分の考えについては今後明らかになるだろう。

 「考える会」呼びかけ人らが運営していた「ベイタウン・コア音楽ホール文化振興基金」では偏ったコンサート運営(※1)をおこなって赤字を出し続け、会計報告すら行われなくなり機能不全に陥った。文化振興基金財源が街のためとは言いがたい使われ方をされ、目減りを続けた上に、事業そのものもほとんど行われなくなってしまったのである。
 「考える会」の立ち上げ経緯以降の運営の仕方、「基金」の実績を考えれば、「考える会」が充分民主的に運営され、外部(考える会関係者が属さない第三者組織等)から監査されない限り、予算権限を持たせることにはリスクがあるだろう。

※1 コンサート運営状況と資金量の推移については以下に参考資料がある。
幕張ベイタウン・コア文化振興基金主催コンサートの分析