立教大学留学生が見た幕張ベイタウン
 
 
 立教大学の中国、韓国からの留学生(社会学、経済学部)が「日本語演習上級」の授業の一環として、2002年5月、幕張新都心と幕張ベイタウンを訪問しました。以下はその印象記です。(なお文章はさわり部分を掲載しています)

◎幕張ベイタウンに行く
◎経済学部経営学科2年 張在哲

 幕張は授業で初めて聞いた都市だった。最初はどんな街かまったくわからなかった。
 幕張は幕張メッセや幕張プリンスホテル、千葉マリンスタジアムもあるし、JR京葉線が通り、都市 公園と人工海浜があって、この街の人は色んな施設に恵まれている。
 幕張ベイタウンの住民たちには他の街では感じられない家族的な雰囲気を感じた。まるで韓国にもある普通の街のように、隣との間柄に情感があるし、いつも明るい笑顔しながら挨拶していた。
 他の人達は幕張が思ったほど成功できずに問題点も多いと言います。通勤も大変だし、住んでいる人達の年齢層はいま30歳台であるが、ますます高齢化が進んでいるという。
 僕は個人的には、幕張の成果は充分な結果として出たと思います。しかも幕張ベイタウンの皆さんは今もすごく頑張っているし、幕張は幕張なりの個性が入っているので、それなりの成果がこれからも出ると思います。
 この街をよい街にしようとする住民の努力の姿が、一番重要なところだと思います。それが幕張の未来しを作る原動力だと思います。



 ◎幕張で考えたこと
 ◎社会学部社会学科1年 龍江林

 最初、幕張は東京から本社を移転してくる企業のオフィス需要の受け皿を作り、あわせて住宅と文教地区の開発を進め、職住が接近した文化と国際性あふれる新都心を目指すことになった。しかし、2000年末まで幕張に進出企業はおよそ300社、就業人口は37500人、目標の四分の一にとどまっている。
 幸い、幕張が今まで持っている優位勢は国際商業都市として発展する可能性が芽生え始めている。優位勢は次にある。
  ・内外の先進的なさまざまな業態が集積すること
  ・イベント性、情報発信性があること
  ・足元商圏に加え、交通が便利で、広域商圏が期待できること
  ・十分な土地、特に駐車場スペースがあること
  ・観光的要素と回遊性があること
  ・宿泊施設があること
 千葉県企業庁は賃貸で小売商業を誘致したり、海外の大手小売企業は日本国民の高い所得を狙ったり、幕張はますます熱くなった。
 政府の失敗と市民の台頭が繋がっている。600兆円を超える借金を背負う日本政府は巨額な公共投資にはなかなか向かない。不景気の中で「街作り」への関心はますます高まった。高度の責任感を持つ市民の誕生は、将来の日本に有益だと思う。


 ◎幕張2002
 ◎社会学部産業関係学科1年 朴埈亨

 幕張という町は、韓国のイルサンという町のように首都の集中を分散するため、その機能を分けた新都心である。わたしが幕張に行く前に何人かの学生が先に幕張に行った。崔さんはパンフレットと違って、わびしさを感じ、海のそばだと思ったが距離があり、街に人が少ないと述べた。
 李さんは幕張の光景について話した。建物と周辺の調和、駐車場がないこと、マンションの噴水、町住民たちの食事の光景、看板がないことなど、わたしの想像力を刺激させる表現であった。さらに幕張メッセという大規模の展示会場の話で、わたしの心は幕張新都心にあこがれ始めた。
 もう一人の金さんが、ヨーロッパのようなきれいな色やライフスタイルを向上させる施設、町中の人々のやさしさを印象的に話してくれた。ここでわたしは何人かの学生たちと幕張新都心を訪問することになった。
(中略)実際にベイタウンに行ったとき、新しくできたベイタウン・コアで「ベイタウンジュニアタイムズ」を見た。
 ちゃんとした記事で面白いと思う記事も、もう一度考えて見る記事もあって、こどもも社会の一員だという言葉を思い出した。こどもが自分たちの思いや考えを世の中に直接伝えることができるということが、わたしにとってはかなり新鮮な気分になった。中にある多目的ホールは大規模ではなかったが、いつ、どんなときでも使えるように見えないところでいろいろな苦労の跡があった。わたしが住んだ街にこういう施設があったらいいなと思った。
 幕張ベイタウンは自分の目で見て感じたことより、授業やパンフレットによる知識がもっと多い。実際行った時は、短い時間の制限で最初の考えとは違って写真一枚も撮らず、帰ってきたことを今は後悔している。今度はレポートのためではなく、素直にマクハリを見に行こうと思いながら幕張の光景をもう一度考えてみる。カメラも忘れずに。


 ◎幕張で感じた3つのこと
 ◎社会学部社会学科 リン ヒュウヤン

 幕張というところをはじめて聞いたのは、去年の7月である。千葉に住んでいる友達に会うために、京葉線の電車で蘇我に行く途中、幕張を通った。この駅の名前はちょっと特別だと思ったので、「幕張」はずっと頭に残っている。名前は特別だとは言っても、東京から遠いので、もし授業のきっかけがなかったら幕張に行くことはないだろう。
  幕張へ行く前、授業でパンフレットをたくさんもらった。写真を見るかぎりでは、幕張は新しくて、きれいで、個性的なところだと思った。本当の幕張を知るために、5月18日にクラスの韓国人の友達と一緒に幕張へ行くことになった。
  <1.海で感じた家族の愛>
 実際に幕張に着いたとき、パンフレットを読んだせいか、この新しい町に対しては、そんなにびっくりしなかった。幕張での建物はとてもヨーロッパっぽくて、お台場に似ていると思った。しかし、幕張では人があまり多くなかった。この前、お台場に行ったとき、人がとても多くて、特にカップルがたくさんいたので、とてもにぎやかで熱く感じた。逆に、幕張はさびしい雰囲気だった。
 それは、時間にかかわる問題だろう。土曜日の午後1時なので、町の人々はまだ活動していなかったのだろうと思った。夜になったら、お台場のようににぎやかになるのだろう。しかし、このさびしい町の中で、熱い一面があると思う。それは人々の愛と優しさである。
 幕張に着いて、最初に海辺へ行った。そこですぐ目に入ったのは、4人の家族が弁当を食べている風景であった。家族のみんなはおにぎりを食べながら楽しくしゃべっていた。小学生の2人の娘はときどき周りのハトと遊んで、無邪気な笑顔をして、とてもかわいかった。家族を離れて一人で日本に留学している私にとって、そんなに幸せな光景を見て、うらやましかった。
 ある友達が突然「この海は太平洋だ。ここからずっと先まで、韓国とつながっているよ。」と私に言った。やはりみんなも私と同じ、自分の国を考えているだろう。日本に来てから、去年の12月香港に1回帰ったことがあるが、それからずっと1人で日本にいる。もう5カ月くらい家族と会っていないで、とても家族に会いたい。香港のこととても懐かしい。
  <2.コアで感じた住民の地域への愛>
 幕張に行く前、幕張ベイタウン・コアについての資料を読んだ。頭に残っているコアのイメージは「住民参加」を重視していることである。例えば、コアは近隣住民の皆の意見と要望を基礎にした建設されたものである。 香港では、「住民参加」という意識を持っている人はあまりいない。自分の住んでいる地域で行う活動にそんなに積極的に参加していない。
 コアの資料で、「コアは住民自治のシンボルだ」とか「自分たちの街のことは自分たちで決める」とかが書いてあったが、実際に地域の活動に参加する幕張の住民はいったいどのくらいいるのか、香港人の私にとって、とても知りたかった。資料の最後の「研究会への参加呼びかけには予想をはるかに越える多くの住民が集まった」を読んで、幕張の住民は本当に「住民自治」の意識を持っているとわかった。
 幕張の海に行ってから、私たちはコアに訪ねた。ホールに入って、その中のピアノがすぐ目に入った。このピアノはある住民がくれたものだと下川さんが教えてくれた。そのとき、やはり幕張の住民は自分たちの街のためにいろいろ協力したと思った。
  <3.幕張の街で感じた障害者への愛>
 この前、他の授業でバリアフリーについてのビデオを見た。この番組を見て、障害をもつ人のために、日本の新しい町はどのようにバリアを除いて建築されたのかとわかった。 やはり幕張は新しくできた町なので、町の建築から見ると、障害者の立場をよく考えたと思う。例えば、通路の幅が普通より広いし、道の段差もあまりない。そのため、車椅子を使う人にとって、道を歩くとき、もっと便利なのではないか。それから、バリアフリー対応型店舗も東京の町より多いと思う。例えば、お店の入口に階段がないところはよく見えた。
この点は幕張の一番いいところだと思う。障害者と高齢者にとって、幕張はとても住みやすい町ではないか。幕張で感動されたのはただ新しい風景に出逢えたことだけでなく、愛が溢れる町に出逢えたことである。今回幕張への旅はとても短いが、本当にいい経験だと思う。


 ◎経済学部経営学科1年 サイ 明範
 ◎幕張ベイタウンについて

  初めて、幕張ベイタウンという町の名前を聞きにおいて、あの町では町に住んでいる人たちが町造りに参加し、計画を立て、創り出しているということを聞いてびっくりした。こんなことは自分の国、少なくとも私の地元ではありえないことである。
  そういうことから、実際に町に行ってみた。東京駅から電車を乗って30分ほどたって海浜幕張駅につきまして、駅を出るとにぎやかな商店街があった。そのなかのある店で食事をとって、まわりを一回回ってみると東京都内の駅の風景と差がなかった。この商店街を通ってずっと行くと目に入るのは大きい公園(幕張海浜公園)であった。広く敷かれている芝生の周りに植えたてた木に囲まれて、木下には家族でも座れる長いいすが置いていて、ここは、公園の静かと自然の緑にあふれた新鮮な空気を吸いながら、ゆったりと休める理想な公園ではないかだと思った。早速マリンデッキを渡って目的地の幕張ベイタウンに入った。
 一番早く目に入ったのは子供たちだった。後からわかったことだが、現在1万6千人の人口の町に二つの小学校があっても足りない状態から相当付けるようになった。そういうことから、このまちを『子供の町』といっても過言ではないだろう。私はちょうど祭りの当日に行ったからとはわからないが、まちは非常ににぎやかで情があふれるひとつの大家族の町らしく見えた。フリマーケットといっても物売りよりも楽しみで祭りの雰囲気の打ち合わせに過ぎなかった。町に身を置いた自分も町の一員になった感じだった。少し興奮した気持ちを抑えながら、町全体を廻り出した。 町つくりにあって、各なりの特徴をもっているたてものは直線の道に並んで建てられ、よそから見ても非常に秩序があるように見えた。そして、それぞれの街区ごとに創意に凝らした中庭は、植栽がユニークな模様を描く中庭や、水の広場がある涼しげな中庭、清潔感を創り出している神殿のような中庭、緑とモニュメントが調和したハイセンスな中庭など、いろいろな形をとっていて、よりもっと自然な生活空間に造られていた。
  だが、その中で少し気になったことがあった。それは、幕張海浜公園が公園の役割を完全に果たしてないことである。幕張ベイタウンから公園まで行くには結構高い階段を登ってマリンデッキを渡らなければいけないので、お年寄りや体不自由な方は夕食の後でも公園に散歩したくでも、不便な面もあるではないかと思った。一番理想なところは町の中心部に公園を置いたほうがよいではないかだと思う。当時、町つくりにおいて、何の理由があるからそういうふうに作ったかもしれない。
 また、もう一つは、海を埋め立てて町を作るとしたら、海が近いからと理由でここに引っ越してくる人もいるかもしれないから、すくなくても、海辺をきれいにしたければいけないかと僕は思う。海辺といっても、泳ぎは・・カイやかになど生物すらあまり見えないところであった。それは、幕張ベイタウンだけではなく日本全体の海岸環境の荒廃がすさまじい。環境省の調査(第四回自然環境保全基礎調査)によれば、自然の海岸線は年々減少し、日本本土の海岸線の三十七・八パーセントが『人口海岸』、十六・一パーセントが『半自然海岸』となってしまっている。『自然海岸』はすでに全体の四四・八パーセントで、本土の海岸線約一万九千キロメートルのうち、わずか約八千五百キロメートルに過ぎない。したがって、これは全日本に関わる問題であろう。
  以上をまとめてかんがえると、幕張ベイタウンは東京の新都心であって、東京と遠くない場所であり、東京の時間に追われる忙禄の雰囲気を避けて、どこでも自由にクルマをとまれる町、いろいろの環境影響もない、理想のお住まいのところである。でも、その街の従来性を考えると、『子供の町』から数十年後は『町の空洞化』も進んでいくのではないかと思っている。



 

 ◎幕張新都心
 ◎経済学部経営学科1年 具 仁模

  僕は5人で車を借りて幕張新都心に行って来た。その時は正直、何かを調査しに行くというよりも、ただ遊びに行くというのが近かったかも知らない。
 高速道路に1時間ぐらい乗って、幕張新都心と載ってある出口に出てくるとすぐに幕張で一番高いプリンスホテルが見えた。また、その隣に並んでる多くの高層ビル……。急に「誰がこんな田舎見たいな所にあんな建物を建てようと考えたんだろう」と思って、この街の事が今まで聞いて思ったのよりもっと知りたくなった。
 新都心の町の中に入ると、そこは5分前に僕が観た高速道路の周辺とは別に観えた。全てが違った。よく舗装されたきれいな街、幾何学で洗練されたデザインの建物。僕達が案内された所は、実用性と外面的な特徴の全て生かされた、その街のシンボルの様だった。 その街には、その街の人達が集まるいろいろな機会と、場所があってここの住民たち
 をひとつにしていた。
 僕は、その街にもう少しいることにした。ちょうど僕の彼女が日本に来ていて、その次の日が出発だったので、幕張のフランクスホテルに泊まることにした。
 夜、駅の方に買い物に出かけて見ると、東京から仕事帰りの人たちや、修学旅行に来てホテルに向かう学生たちでいっぱいだった。その時ここはいろんな会社もあるが、観光地でベットタウンの役割もしてる事をわかった。
 やっぱり多数のホテルがあって、競争も激しいのか各ホテルは自分たちだけの個性をもってて、サービスも東京より上だった。その次の日、僕達は空港行きのバスを待つ時間の間もう一度駅の周辺に行ってみた。日曜日だけであって、家族で買い物に来た人達や、カップルでデートに来た人もいた。
 たとえ、僕が多くの人達を観たとは言えないが、今まで僕がこの幕張に関して聞いて感じたように、この街の人たちは都心に住んでいる人と違って、余裕があるように見えたし、今この瞬間、自分の人生をだれよりも楽しもうとしてるようにみえた。


 ◎人と暮らしにやさしい街づくり
 ◎経済学部経済学科1年 ヤン・チェ

 日本語実習をきっかけに、ある日曜日に幕張へ訪れた。初めに幕張という街を聞いたとき、正直に言うと、あまり興味はなかった、思いついたのはディスニーランドくらいであった。何故なら、授業で幕張は海を埋めて人工的に設計されているまちだと聞き、パンフレットを見ても、人の息吹が感じられなかったからであった。しかし、実際に行ってみたら、自分の勝手の勘違いに気付き、幕張は本当に温かいまちなのだ。
 幕張に着いたのはお昼頃だったので、駅のそばにあるプレナ幕張というビルに入って、同行の皆で一緒に食事をした。プレナ幕張はショッピング、グルメ、サービス、アミューズメントなどをたくさんつまった実に便利な空間だ。
 プレナ幕張を出たら、すぐにガーデンウォーク幕張というバラやチューリップに囲まれた低層2階建てのショッピングモールが見えた。服、時計、雑貨や洋服など色々なお店が揃って、とても魅力的なところだと感心した。あそこなら、きっと家族や友達と一緒にゆったりショッピングを楽しめる。さらに、駅から少し離れて、数多くのホテルや大手企業の超高層ビルが競い合っているように林立する風景は、まさに現代の新都心だ。
 しかし、ここまでは別に幕張でなくても、新宿やお台場などのところもある。実は私にとって、幕張の真の魅力は人々が住んでいる幕張ベイタウンなのだ。きれいに整備された緑いっぱいの公園を通って歩道橋を渡ったら、ベイタウンが見えてきた。
 パンフレットに書いた通り、パリのアパルトマンやロンドンのテラスハウスと呼ばれる都市居住群のように、街区=沿道型住宅が美しい街並みをつくる最小単位となり、街全体の調和をとりつつ、それぞれの街区に個性的で色鮮やかなデザインを採用している。それに、街路に住む人がゆったりと賑わいを楽しみながら歩けるスペースが確保され、沿道の住宅の1階にはお洒落なショップが建ち並んでいる。
 私が行った日にちょうど自治会主催の「ベイタウン祭り」があって、そこでフリーマーケットなどのイベントで住民達が盛り上がっていた。また、ベイタウンのマンションは、それぞれ中央に憩いのスペースとなる中庭(パティオ)がある。それから、ベイタウンの学校は壁がないことにもおどろいた。
 その日に「幕張ベイタウン・コア」にも行った。住民自治のシンボルであるコアの1階に多目的ホール、2階に図書館がある。美妙な音に連れられ、私たちは1階の多目的ホールに入ってみたら、近くの高校吹奏楽部ミニコンサートだった。ちょっと小さな空間だが、音響設備といい、舞台機構といい、とても優れたホールなのだ。話によると、そこでは常にさまざまな小規模音楽会が開いている。そこから住民たちの結集力の強さ、活動の多彩さが見えてくる。
 人が心地よく働き、遊び、憩う都市づくりを目指した「幕張ベイタウン」は、実に個性的な街であり、時間、空間、そして個人の間にも都心とは違う余裕ができる人と暮らしに優しい街である。



 

 ◎マクハリを訪ねて
 ◎経済学部経営学科1年 許奎煥

 幕張。個人的に二回目の訪れであった。あるグループのコンサートを観に行ったことがあっただけではあるが、あまりにも印象が強かったものであり、四年もたったいまにもその町の風景が思い出せた。
 高速道路から町に入りその出来形が一目で見れた。見たとたん幕張が自分にくれた感じは計画と現代、そして経済的余裕さであった。最初の土地から今の形を持つまで全てが計画により造られたということ。現代の技術が最大限使われてあるのはもちろんのことで、デザイン(建物)・町の構成までもごく現代的だということを自慢でもしているよう。だからこそそういうところから感じられるその町の経済的ことに関心が傾けられる。
 その反面、ほぼ同じ行政的区域に入っていながらも幕張駅の周辺の町は全然そうではなかったのだ。建物から町の何にしろ、すべてがベイタウンとは正反対である。別のところなら普通の町であるかも知れないが、ベイタウンと接しているからこそその差が目立つのだ。いろいろな部分でそれはあると思うが、自分の今勉強している部門が経済である分、経済力に重点を置いてみたいと思う。
 (中略)自分の母国、韓国にも‘ブンダン’という新都市がある。しかし、その性格が幕張とはかなり違う。幕張は総合的新都心を目指しているのだが、ブンダンの方はただ、快適で便利な首都近接のお住まいをその構想に入れているのだ。自分は幕張というところに行ってみて区分ができるようになった言葉がある。それは“新都心”と“新都市”という二つの言葉だ。幕張とブンダンの性格やその出来たかたちの差を見、自分の中でその二つの言葉ははっきりと分けられるようになったのである。幕張新都心はこれからも、その開発や目標の達成のために前へ前へと進んでいくと思う。日本の新たなる経済の中心部として、また世界のManager達の集まってくる国際業務都市として……


 ◎幕張ベイタウンについての感想   
 ◎経済学部経営学科I年 鄭 錦雲

  幕張ベイタウンは21世紀の国際業務都市を目指す新都市にふさわしい。魅力的な都市デザインと新しい時代の社会的ニーズやライフスタイルに対した快適な居住環境の実現を目指して本格的な都心型住宅の整備を進めている。職、住、学、遊を充実させる都市環境を形成している。幕張ベイタウンは新都心の様々な都市機能を背景にした「住宅地区」にある住宅地。都市に住む楽しさをと喜び人と都市との関わりを見つめ直すことから幕張ベイタウンの開発プロジェクトが始まった。今は幕張ベイタウンでの暮らしやすさについて自分なりの感想を述べる。
 そこはグリンスペースが多くて、健康に良い。けれどベンチが少ない。まず幕張海浜公園だ。この公園は新都心の憩いと安らぎの空間として、日比谷公園の約四倍の広さを有り、日本文化と世界の交流を目指した日本庭園「見浜園」を始めとして、多くの人々に利用されている。そこは犬を連れて散歩したり、子供と一緒に遊んだりして、楽しむ場所だ。そして、幕張新都心の業務研究地区の中心部にあり、ゆとりを持って散策、休憩することができるオーペンスペースとして作られた南北に細長い都市公園だ。
 もう一つはそれぞれ個性的な中庭だ。植栽がユニークな模様を描く中庭や水の広場があるすずしげな中庭清潔感を 仕出している神殿のような中庭や緑とモーニュメントが調和したハイセンスな中庭は落ち着いた庭園のようなものがつくられ、一般の団地にはない豪華さが感じられた。しかし、どこのグリンスペースかというと、ベンチが少ない。座る場所がなくて、そのまま座ったら。汚れたり、または女の場はスカートで座ったら、不便が生じたりして、たいへんなことだと思う。暮らしやしさを目指しているので、この小さい点を考えたるもっといいと思う。
 もう一つの点は住民の安全性だ。あそこの建物は屋上や中庭への入り口に円形だったり、四角だったりして、でサインが良いけれども住民安全性についた物足りないと思う。最近日本で、ときどき盗難事件などが起き、治安が昔と比べて悪くなっていると思う。日本の建物の構造からみると盗難に対して、安全設備少ない。例えば、ドアのカギが簡単で、開けやすい、まとはガラスが多くて破れ易いし押し込みやすい。そして、ビルの一階に安全設備も少ない。
 この点では。中国の深釧経済特区の住宅区について比べてみる。六年前には私は深釧経済特区へ行ったことがある。あそこで旅行して、おばさんの家に泊まることになった。おばさんの家はその新しいビルグループの中にある。初めておばさんの家に行く時、一階の受け付けでいろいろな手続きをした。身分証を見せて、外来者の名簿に名前、住所、などを書いて、警備員が私たちに訪問するおばさんの名前、部屋番号まで聞いた。そして、警備員が私のおばさんに電話をかけて、確認しておばさんを一階に呼んできた。おばさんは自分で私たちを連れてエレベータに乗っていた。